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2022/02/09

「気を養い高めていくために」(2020年8月)

「気を養い高めていくために」(2020年8月)

日本語の表現の中で「気」という言葉はあらゆるところで使われています

気になる、気をつける、気を遣う、気がつく、気に障る、気が散る

気が強い、気が弱い等々

 

また元気、病気、気合い、気分、気迫、気持ちなどの言葉にも

「気」というものが入っています

                

「気」というものは何か

と考えても漠然としてなんとなく宿るものとして説明しにくいものです

 

なぜまたそんなことが気になったかというと

澤井健一氏の

「太氣拳」という本を読んだからです

 

私が初めて「澤井健一」という名前を知ったのが

16歳の時(今から40年近く前)になります

ちょうど私が高校の空手部に在籍していた頃です

 

同じ空手部の同級生から「拳聖」と呼ばれている中国拳法の達人がいる話を聞いたのです

 

それが「澤井健一」といい中国で武術の達人である王向斎の弟子となり

1947年に太氣至誠拳法(太氣拳)を創始し日本で広めた方なのです

 

http://webhiden.jp/master/dtail/_wang_xiangzhaiou_kousai.php

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%A4%E4%BA%95%E5%81%A5%E4%B8%80

 

中国拳法をいわゆる剛と柔による「外家拳」と「内家拳」とにわけると

よく知られている少林寺拳法(少林拳)のように形から入り筋肉を鍛え上げ

技を会得していく流れの方法を「外家拳」といい外観上からは学びやすいそうです

 

それにたいし「内家拳」は内的気功を重視し

禅による精神鍛錬から動的な部分に入っていく方法だそうで

精神鍛錬には時間がかかり困難であるといわれています

 

「太気拳」においては

「気」というものを高めあげることで

動物本来の動き、それは脳の判断というより「本能」

すなわち動物の意(心の動き)から起こるものを形にしたもの

それを「形意拳」といい

 

無意識に自然に無理なく、無駄なく、瞬間的にかつ的確に体を運用させるようになるということです

 

「気」というものは強い弱いはあっても誰もが持っているもので

 

「禅」によって「気」を鍛え、養成していくのです

いろんな形の「禅」がありますが「太気拳」では立って行う「立禅」

が基本です

 

来る日も来る日もそれを行っていると

あたまにはいろんな雑念が出てきたり

同じ姿勢での疲れや痛みが出て

考えていることが痛みに移行し集中し何も考えられなくなるそうで

ただただ苦しい状態かもしれません

 

しかしいつの間にか

神経が静まり、研ぎ澄まされ、呼吸の鍛錬にもなります

そして「気」が養成されていく

 

そうすると手が昆虫の「触角」のようになり

腰を中心にした身体は安定した「地」となって運動神経以上のものが生まれると

 

筋肉を鍛えていても年齢とともに力はピークから下がっていくかもしれない

しかし中国拳法では達人といわれる方は70歳代でも強さに衰えなど感じないそうです

 

人間を「樹」に例えると

若い時は幹のように強い、しかし年齢を積み重ねていくと枝のようにしなやかさも必要でそこには柔軟性や技が宿れば簡単には折れない

「しなる枝」となり伸びていくでしょう

 

小笠原流の礼法の中に

日々の稽古により到達できる「静中動」について書かれていることに

私は「太気拳」に通じるもの、あるいは「気」そのものではないかと感じた説明があります

 

奈良県立医科大学の伊藤登生化学教授によると

「瞬間的に外界の刺激に対応できてしかもこれに対して相当の反応を示す

この刺激は知覚→神経伝達→脳→判定→命令→神経伝達→筋運動

とその間にはわずか10分の1秒ほどしかかからない

しかもその間に正確に判定し、しかも正確な命令として出すには

外界の刺激に即応する態勢がなければならない

そしてこの態勢はただトレーニング(稽古)によって得られる」

 

「すべての筋肉が平等に緊張しており五感も全機能が発揮している後に来る無(第六感の無)、すべての筋肉が弛緩した眠ったような状態ではなく

エネルギー論的に言えばすべての動作要素を内蔵している静である」

 

人間の潜在能力って恐ろしくすごいなと思います

 

これからのライフスタイルに

「禅」や「瞑想」をとりいれて養いさらに強くなりたいですね

 

 

 

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